英語と私。
私はこうして今、英語を教えることを生業としていますが、元々英語が大嫌いな少女でした。
実は、私の母は英語の教員免許を持っていて、物心ついた時から地域の子供たちに英語と国語と数学を教えていました。
必然的に、私も友達に混じって勉強を教わることにーーー。
中学1年生だったと思います。がっつり怒られたことを覚えています。
いや、むしろそこしか覚えていない!
しかも、英語の時に怒られた記憶。
「なんでできないの!」
そのようなことを言われたんですね。
その時、プッツリ英語に対するやる気が途切れてしまいました。
いや、元々チンプンカンプンな英語に興味を持つ前に、
なんで英語を学ばないといけないのか分からないまま勉強として始まったもんだから、
それだけでも強制的だったのに、そこへきて友達の前でできないことを怒られた。
それだけで英語嫌いになるには十分でした。
なので私自身、将来英語を話して、英語を教えることを職業にしていることは摩訶不思議!なことなんです。
「英語好き」はいつの間にか通り越していて、日常にあるのが当たり前で、たまに見る夢は全編英語で、たまにひとり言を英語で言ってたりする感じ。
余談ですが、摩訶不思議と言えば、私の最初の職業は、日本航空の子会社でした。
3,000人受けた中で受かった一人です。
それも私の人生の中の七不思議。
私以外の同期は、みんな大学卒業生でした。
私だけ専門学校卒業生。
同じ学校から受けた子も沢山いました。
なぜかは謎だけど、何となく受かるってわかっていた様な気がします。
希望した勤務地は、東京国際空港 通称 羽田空港。
私はキャビンアテンダントではなく、飛行機の安全運航管理に携わる職種だったので(いわゆるグランドスタッフ)、お客様の接客はほとんどなかったので英語を使う機会は滅多にありませんでしたが。
話を戻して、私が英語にようやく興味を持ったのは、高校三年生。
我ながら遅いっ!笑
きっかけは、学校の友人が偶然電車で乗り合わせた白人の赤ちゃんを見て、声を掛けたこと。
あまりにも可愛すぎて、思わずハロー!って言っちゃったんだとか。笑
その時声を掛けられたのが、今も家族同然の仲であるカナダ人ファミリーのFさん達です。
Fさんのパパは、牧師であり、宣教師でした。
キリスト教を広めるために日本に遣わされていたんですね。
そして、当時まだ日本語が分からなかった彼らに自宅でのピザパーティーに誘われ、私にもお声が掛かったというわけです。
お互い、単語を繋ぎ合わせた片言の英語と日本語でようやっと会話をしました。
文化の違いや、それぞれの考え、そして価値観。
そういったことを分かり合いたくてひたすら辞書片手に話していました。
これがとってもとっても楽しい時間でした。
そうしている内に、いつの間にか私の中に、「彼らともっと深く、自分の言葉でリアルタイムに心を通わせたい!」と思っている自分が生まれていました。
私は身をもって知っているんですね。
言葉は道具。
英語は伝えたいことがなければ、身に付けようとさえ思わないもの。
されど、その道具ひとつで世界は繋がり広がる、大きな可能性を持ったもの。
だからこそ、私は子供たちに勉強のための英語ではなく、生きた英語の楽しさを伝えたいと思っています。
そして大事な、なぜ学ぶのか、なぜ日本語だけじゃないのか、そういうことも子供たちに問いかけながら、自分の答えを見つけてもらいたいと思っています。
子供の成長を間近で感じられるのは、大きな喜びです。
彼らの未来が明るく、楽しく、希望に満ち溢れていることを願ってやみません。
そして、日本だけでなく、「地球のどこででも幸せになれる」そんな人間力を持った人になってほしいです^^