こういう時、痛感するのよ。
お友達がFacebookで超読み聞かせをご紹介くださって嬉しい朝
のはずなのに…
車を巡る息子とのトラブル
昨日に引き続き、朝が戻ってない
…こんなことは今まで無かったのに…
去年から息子と車をシェアしてて、これまで大体
私:朝〜夕方
息子:夕方〜夜中
って感じで上手くバランス取ってた。
なのに…
『朝は何が起きるか分からないから戻しておいてほしい』
『何が起きるの?車使うなら前もってスケジュールに入れておいて』
『天気や寝坊とか、何かハプニングで送迎だったり分からないじゃん?車がない不安は精神衛生上、嫌なんだよ』
『今日何時に使うの?』
『今日はもういいよ。これからは朝戻しておいて』
『は?意味わからん。何時に使うのって聞いてんのに』
…
…
…
こんな調子です
ホントね、同じ言語持ってんのか?って話なんですよ。
彼とはね超読み聞かせしてないんです。
「本を頭からおしりまで読んで終わり」の読み聞かせは人並みにしてきましたよ。
でも、超読み聞かせは全然違うの!
絵本を中心にお互いの意見を聞いたり、
実際の経験談を交えたり、
主人公の気持ちをおもんぱかったり…
そう!双方向のコミュニケーションなのね。
それから、絵本から思いついたアクティビティを
実際体を使って一緒にやってみたり、
自然と思い出もたくさん共有してるんだよね。
そんな風に積み重ねてきた時間て、
お互いの愛着が生まれ
その上に信頼が育まれていく。
そんな親子の絆みたいなのが息子とはうっすい
分かり合おうとした歴史も
考えあぐねた時間も
伝えあった機会も”多忙”という名のもとに
華麗にスルーしてきたんだもの…
いつまで経ってもコミュニケーションがズレてる
いつまで経っても彼は私にとって宇宙人
あーあ
本当に子供は育てたようにしか育たない
これから私は彼に手紙を書きます。
ストレートに私の要望をシンプルに伝えるために。
今日も素敵な一日になりますように…
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「子供は育てたようにしか育たない」と書きましたが、
その真意を自分自身に問いかけると
いつも聞こえてくる言葉があります。
それは、決して子供の責任ではないということ。
私自身の問題なのです。
息子を理解できないのは、”私が” 理解しようとしてきた時間が充分だったと言い切れないから。
息子と分かり合えないのは、”私が” 彼と向き合ってきたと言える自信が少ないから。
私が子供にかけてきた時間が、
エネルギーが、
眼差しが、
意識が、
結局は子供との絆の深さに比例してると思うのです。
でも、過去の自分を責めない。
なぜなら決してないがしろにしてきたわけではなく、
あの時はあの時の精一杯で生きてきたからです。
けれど、『もう少しやれることがあったな』と思うものなんでしょうね(苦笑)
そして一週回って、結局感謝になるのですが、
超読み聞かせをしてない息子と、それをした娘のコントラストがハッキリしてて
結局良い経験になっているということ(笑)
そして私が何を思おうと、息子は自分の人生を生きてるってこと。
私が確信しているのは、超読み聞かせの恩恵を一番に受けたのは親である私自身だということ。
そのお陰で、どんな息子でもどんな娘でも心底愛してやまない私に育ったと思っているのです。
そうです。
私がなぜママ英語講座を生涯の活動としていきたいのかは、
この在り方がお母さんの笑顔に繋がると思ってるからです(*^^*)
我が子と楽しく日々を過ごしながら、親子の強い絆を育む女性が増えますように!