お金とわたし。
完全フリーランスとなれば、やはりお金のことは切っても切り離せない話です。
まぁ、私は約18年間シングルマザーなので、意識しようとしまいといつもその問題は共にありました。
今日は私の体験を通して掴んだ、お金についてのお話をしたいと思います。
ここ数年、「お金を得て不安のない生活を送りたい」と考えて、「お金がいくらあったら足りるのか?」「自分はどのくらい欲しいのか?」「そもそもお金ってなんなのか?」と、お金についての視点から自分と向き合い、動いてきました。
今朝、ふと腹におちたことがあったのでメモ!
書き留めておこうと思います。
私のお金との関係
私の場合、最初に毎月の支払いにおののき、月末近くなると口座とにらめっこしてました。
パズルのように、あちらからこちらへお金を移し、無意識にその度に刷り込まれていたのは、”お金は出ていくもの・減るもの”だったと思います。
でも学びを通して別の視点から見ていく内に、「あれ?でも毎月なんとか暮らしていけている」「今月も口座にはお金が振り込まれてきている」なんて、文字にしてみると当たり前のことかもしれないけど、実感として「なぁ~んだ。大丈夫なんだ。」と思えていきました。
私のありのままの状況を書いておくと、現在も裕福ではありません。
でも裕福な日々を過ごしています。
それは、裕福ではない理由として、毎月の支払いは収入よりオーバーしているし、お借りしているお金があり、税金や光熱費など滞っている支払いがあります。
そして、裕福である理由として、持ち家があり、家族3人三食屋根付き・クーラーありの部屋で暮らせていて、お給料をいただける仕事があり、命を燃やせる活動があり、本音を話せるお友達がいるからです。
加えて、創作活動する時間や瞑想する時間という余裕があり、それは、子供たちと向き合う心の余裕や自分自身と向き合う余裕になっています。
書き出してみても、享受している裕福である理由のが多いですね。
こうして、客観的事実を少しずつ少しずつ体感してきました。
これまでの不安とは真逆の価値観の塗り替えです。
ここまで至るまでに辿った変化と、その方法
本当に方法と言えるのかは疑問ですが(;^_^A
~お金編~
*腹を決めて、現実と向き合う覚悟をする
⇒現在の借金と必要な生活費など全て書き出し、把握する
⇒比率として、借金の支払いを最優先とする。けれど、たまにはチートデイとして、子供たちと食べたいものや買いたいものに回す
⇒支払いが期日通りできないものは、先方へ相談させていただき期日延長のお許しをいただいた。延滞料や遅延損害金、振込手数料など支払いが増えることになるけど、自分の決断を丸ごと受け止める
*自分の力を取り戻す
⇒今まで母に助けてもらっていた食事代などを自分で払うようにした
私には両親ともいますが、昔から家庭内不和で父親は相談できる関係にありません。何かとトラブルがあり、未だに両親は問題を抱えています。
そんな中、子育てにおいても、私自身の病気においても、経済的な緊急な助けも、いつも母一人に頼ってきました。
特に、外食時は母に支払ってもらうことは長年当たり前になってきていて、私の中で支払ってもらう度に罪悪感と自分への尊厳を失っていったと気が付きました。
そう気づいた時から、10回に1度、9回に1度…と私が支払う回数を増やしてみました。(もちろん、誘いを断ることも大事)
そうすると、自分自身に対する「自分の力でちゃんと生きている」という感覚を取り戻すことができたのです。
また、私の中で私が私らしく自信を持って生きていく上で、”自立”はとても重要なファクターだということが分かりました。
「精神的自立」「経済的自立」は両輪なのが身に沁みて理解できた瞬間でした。
*支払いができたこと、今日も食事があり寝れる場所があることを実感する
それまでは支払日が嵐のように来ては過ぎ去るように、戦々恐々とした感情しか感じていませんでした。
でも、一つ一つお支払いし、わずかに残ったお金で生活をする。すると、「なんだ。生きていけるじゃん。」と思う。
これの繰り返しです。
「どんな状況でも大丈夫なんだ」
お金があってもなくても楽しい日々が続いているという実感は、私にとってそれまであった「お金がなくては不自由」という鎖を壊してくれた体験となったのです。
お金と自由には関連性がなかったのです。
~時間編~
*仕事を整理する
とにかく私がほしかったもの。それは「余裕」。
あくせく朝から晩まで定時で働き、家事をすることもままならず、汚れた家で暮らす苦痛。
子供たちの話を聞く余裕もなく、子供たちの至らなさに目が三角になって爆発する怒り。親子関係が悪化するばかりで、気が付けば家庭が居心地の悪い場所になっていました。
そこで、あくまで私の場合ですが、仕事を辞めました。
シングルマザーで正社員の仕事を手放すのは、なかなかリスキーで共感を得られるものではないかもしれませんが。(もちろん仕事を辞めるまでにダブルワークなどから始めて準備しましたけどね!)
でも、辞めてみた。
*新しい働き方を模索する
動くことが肝心!自分のできることから始めました
⇒私の場合、英語講師でした。教会をお借りしてスタートした英語教室。地域の未就学児から高校生の子供たちに使える英語力を届けるために、自分の英語劣等生だった経験や、海外留学で培ったスキルやその方法を英語学習を通して伝えたいを思ったからです。
他にも並行して、塾講師や家庭教師もトライしてみました。
*子供たちに協働してもらう
食育とお手伝いを兼ねて、家事を任せてみました
⇒夏休みなどの比較的余裕のある時に、子供たちに料理を任せました。
それまで超読み聞かせから派生して、一緒に料理をすることが多かったため不安はありませんでしたので、献立からお願いしました。
息子は高校1年生で反抗期真っ只中。娘は小学3年生。
これは日頃のお手伝いとは別件だったので、バイト代を支払うことで成立しました。
これにより、私は思う存分その時間を自分のために使い、彼らは対価と経験を得たのです。
(もちろん、断られることもありました!)
~メンタル編~
*自分の心身を整える
瞑想が良いと聞いていましたが、目をつむるとすぐ寝てしまう私には向かなかったので「自分の心を整える」前の、「身体から心身を統合させる」ことをしました
⇒これには、ママのためのソマティック活動の中でしている、裸足活動や足指のストレッチ、五臓の呼吸法がとても有効でした。
仲間と楽しく続けることで習慣化し、今では自分自身の呼吸の乱れにいち早く気付くことができるようになり、呼吸を整える方法を知っているので、すぐ対処できるようになりました。
*自分の好きを行動に移す
心身が一致してくると自分の心の声が聞こえるようになってきました
⇒これまでお金と直結してることに時間を注いできたけれど、本来やってみたかったことが出てくるようになったので、時間とお金と相談しながら実際にスタートしてみました。
私の場合、刺繍(道具をそろえるまでに半年はかかったと思います!紙刺繍から始めて、布刺繍も)、手づくり封筒や新聞紙の袋づくり。
母がオーガニックで野菜作りをして販売しているのですが、自然との共生をいつも口にしているのでその影響だと思います。
目の前に溜まった新聞紙や、もらった映画のパンフレットやチラシを処分するだけではなく、活かすことができないかな?と思ったのが始まりです。
折ってるうちに楽しくなって、新聞紙が足りなくなるほど(笑)
作業自体が軽い瞑想状態になるみたいで、PC仕事で疲れた脳にはよく効きました!
そして、新聞紙の袋は実際使ってみたら、料理中に出る野菜くず受けにはピッタリだし、野菜を包むのにも最適!
冷蔵庫にそのまま入れて使っています。
母も気に入ってくれて、今度通販で購入してくださっているお客様へのお礼に入れてくれるそうです(^^)
自分の『好き』が次に繋がって、思わぬ形で誰かの喜びや何かの役に立てることは本当に嬉しいことです。
他にも、自分の中で無意識にNGとしていたことも心の赴くままにやってみました!
*子供たちの朝食を作らず朝寝坊
⇒コーンフレークやフルーツ、お味噌汁とご飯、瓶詰の鮭などを用意しておいて自分で食べてもらいました。そして、行ってきますの頃に私は起きてきてお見送りだけ。時には、それさえも間に合わないことも。
⇒結果として、これは私自身が心地よくなかったのでやめました。
息子が成人して、20年の歳月を長いと思っていたけどあっという間に、そしてあっけなく日常の一コマとして流れていくことを体験し、子供たちと過ごせる日々をもっと一緒に共有したいと思ったからです。
でも、実際何回かやってみて私は本当はどうしたいか気付けたし、娘は私がいようがいまいが自分でできると自信がついたようで実際体験して良かったです。
そして最も大きな恵みは、早起きして家族のために準備することは、私自身がしたいからやっているという自分の軸が取り戻せたということです。
子供たちに対して、『あなたのためにやってきたのに』という想いは粉々に崩れ去りました。
*朝から長風呂
⇒お風呂は夜派で、朝入るのは前日に疲れて入れなかった時だった私。
朝入るお風呂は慌ただしいもの!と決めつけていたので、お風呂をためて、キャンドルを焚いて、明るい陽射しの中、好きなだけゆっくり入ることをしました
*夜中にラーメンを食べてみたり(笑)
⇒ここ数年、持病の治療もあって増え続ける体重がストレスになって、食に対するプレッシャーがさらに悪循環になっていました。
アレを食べてはいけない、コレをしてはいけない、ソレを買い揃えなきゃできない…などなど、アンテナを張ると情報がドドド!と集まってきて窒息しそうになります。
自分に合うのを見つけるまで試すしかないのですが、結果が出ないと自分を責める性質に気が付きました。
『辞めるのは悪いこと』
私の中にあった固定観念をまた一つ見つけることに成功!
そういうことを一つ一つトライして、思う存分感情を味わう。
夜中のラーメンは、娘と共にその美味しさと温かさと背徳感を楽しみました。そして、翌日の体の重みと、お腹をくだすという体の反動も体験しました。
これは、より一層、口から入ったものが体を通って、身になり、そうならなかったものがあることを実感をもってイメージする素晴らしい機会になったと思います。
~人間関係編~
*会いたい人に会う
義理で会うことをやめました
⇒自分の心に意識を置き、利害関係のために会うのではないか、会う目的を明確にして心に寄り添いました。
すると、ストレスも減り、気持ちの良い時間を過ごすことができ始めました。何か問題が浮上しても、自分の決めたことの延長で起きたことなので、その決断も自分ですることがスムーズでした。
相談できる友人も増えました。
波長が合う人と出会う機会が増えたのももちろんですが、自然体でいられることが多くなったことで、意見の違いや価値観の違いを受け入れられるキャパが増えたんだと思います。
また、波長の合う人というのは、お互いに尊重できる自立した人たちが多く、それこそ私がそれを大切にしているから出会えたのは必然なのだと今ようやく全体の循環を見ることができるようになりました。
『余裕』がもたらした効果
私の中には、これまで『バランスが悪い自分だから良い人生にならない』という前提があったと思います。
これが生み出すのが、『ちゃんとしなきゃ』というプレッシャーと自己嫌悪でした。
でも、私の場合、前に進む時にはバランスを取るより、突き進む力を与えてくれるのはいつだって常識から外れた自分で在ることだったのです。
でも、人の思惑から外れたときに怒られる。
怒られたくない私。
怒られるということは、嫌われるということだから。
人間関係において、そう育ってきたと思いますし、私自身、そう子供たちを育ててきました。
とても窮屈で、反発心でしか打破する道を選べないという観念を育んできたと思いました。
私はいつも、子供の側であり、大人の側で在りました。
これは、なんて幸運なことだろうと気が付くことができました。
なぜなら、私の持って生まれた気質は、これまで私の人生をややこしくし、人間関係を滞らせる疎ましいものでしかなかったのに、そうではなかったのです。
子供心を残しつつ大人として責任をもって成長を楽しめるのが私なんだと思うに至りました。
まずはやってみる。
使い古された、当たり前のことかもしれません。
でも、そこに恐怖があることを知りました。
自分で体験したからこそ得られた感覚です。
そこを細分化してみる。
細分化するには、『なぜそう思うのか?』を問い続けます。
恐いのはなぜ?
なぜそれが恐いの?
それが起きたら最悪どうなるの?
そうなる前に何もできることはないの?
それができないと思うのはなぜ?
…とにかく出てきた感情に『なぜ?なぜ?なぜ?』を聴くようにしてました。『どうやって』は二の次です。
私にはまだまだやりたいこと、叶えたいことがあります。
私にはまだまだ理解できていない自分がいます。
私にはまだまだ恐れていることがあります。
それらを叶えてどうなるのか?叶えてみないと分からないこと、見えないことが山ほどあると思うと、ワクワクするだけでなく足もすくみます。
それでも、その時が来たら掴めるように、自分を整えながらトライしていきます。
心はその度、過去に行ったり、未来に行ったり、起きてもしない最悪を想像したり、人のことまで心配したりと大忙しです。
でも、必ず今の自分だけに集中する時間を取ることを忘れずに。
何をしても時間は過ぎるし、何を選んでも歩めるのは私の人生一つだけ。
酸いも甘いも、光も影も清濁併せて素晴らしい人生を!