我が子に与えたい2つのこと。

 

 

もうすぐテキサスで学んだあの日々から、1年が経とうとしてる~。

時が経つのは本当に早い!

 

でもねー 自分で自分を褒めてあげたい~♡

なぜなら、仕事にプライベートに七転八倒ありながらも、

子供たちとの絆が強くなっているのを感じているからです^^

それもこれも3日坊主の私が、チルドレン大学ランディー由紀子さんからの学びを、

知っている状態から実生活に活かし始めて、それが根を張りだしたから!

 

 

点でしかなかった学びが、知識として気付きになり、実行することで失敗と自分の肌に合うかどうかのサイクルを回す。

繰り返していくうちに、それは習慣となり、我が子を観察するのが当たり前になり、一緒に過ごす時間が楽しくなる。

子供の成長に感謝しながら、英語を日常にしつつも日本の歴史や文化も大切にする日々。

もちろん忙しくてできない日もある。

けれど、今日は本を何冊読んであげたからとか、

勉強を何ページやらせたからとか、

料理を教えてあげたからとかで充実してるわけじゃないんだよね。

 

 

目を見て、話しに耳を傾けて、一緒に食卓を囲む。

本を開かなくても、話し古したはずの桃太郎の話でも視点を変えれば盛り上がれる。

そして、「大好き!」って言いあって眠りにつく。

 

そう。

子供にアレコレ与えたくなっちゃうのは親の性。

せっかく与えるのなら飛び切り良いものを!と思っちゃうのはケチ性だから?笑

 

 

でもねー

本当に大切なものはたった2つのことかもしれないって思うんだ。

 

 

それは、

「どんなあなたでも大好き!」って伝えること、

 

そして

 

「あなたも大事。そして私も同じく大事。」ってこと。

 

 

 

私が子供の時、両親は既に不仲で、仲が良いのかな?と思った次の瞬間には

父の機嫌が悪くなったり、母が怒っていたり泣いていたり、

なんだかいつもサバイバル状態だった。

 

父が猫なで声で優しくしてくれるとしっぽを振って喜んでいたし、

急に理由も分からないまま、理不尽に突っぱねられたりすると心底悲しくなった。

それでも父の愛情をもらいたくて、構ってくれる父に戻るのをいつも期待してたっけ。

 

でもね、すっっっっっっごく疲れてた。

しんどかった。

親の顔色をうかがうのにエネルギーを使い果たしてた。

自分の壊れそうな心を守るのに必死だった。

 

だからこそ、今振り返ると、私の半生は自分の人生に向き合えないままで来ちゃったんだと思うの。

家の中がギスギスしてて、いつも嵐のように怒りや悲しみ、憎しみが渦巻いてたら

子供は休まることも、息つくことも、安心することもできないじゃない?

そんな状況で自分の夢や人生を考える余力なんてないのよね。

それどころか、父から受ける暴言の数々に自分の存在すら疑い始める。

自分は無価値な人間なんじゃないだろうか、って。

自分のことも、家のことも、地元のこともぜ~んぶ大嫌いだった。

 

 

 

ある性暴力被害を受けた女性の手記に、以下の一文があってそれを読んだ時、

受けた傷は雲泥の差であっても、私は彼女の気持ちが痛い程分かった。

 

「They treated me nothing, so I became nothing.」

(彼らは私を価値のないものとして扱ったので、私はそのようになった。)

 

彼女は、小学生の時に同級生から呼び出され、複数人から暴行された。

大人になった今でもその傷は癒えることはなく、自傷行為や過食に悩んでいる。

悲しいのは、傷つけた人たちは自分の人生を生き、(幸せかどうかは知らないが)

傷つけられた人たちは一生傷を負って生きていくという現実がただあるということだ。

 

 

 

親の我が子に与える影響力は大きい。

残酷なほど大きい。

 

親が無知なのは、時として残酷な傷を子どもに残す。

 

 

私は親ばかになりたい。

バカ親は迷惑かけるかもしれないけど、

私は「我が子はギフト!我が子が大好き!」って言える親ばかは最高!だと思う♡


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